2022.09.09Blog
「ペット飼ったら絶対さきに死ぬやん、かわいそうやん」
と言う人。
彼らに私は声を大にして言いたい。
ペットがアンタより先に死ななアカンに決まってるやん!
当たり前やん!
アンタがさき死んでどうするの!
アンタが先に死んだら誰がその子の面倒見んの?
自分が先に死ぬってことは、面倒を見るのを放棄するってことだとどうして気づかないの?
そういうのを〝無責任〟って言うんやで!
『勝手可愛がり』の極地やで!
・・・・・・・・・・。
大変失礼ではあるが、私の経験データ上では、こういうことを言うのは男性に多い。
『死』というものを受け入れられず、『死別』という悲しみから立ち直り前を向くことができないのだろう。
もちろん死は悲しいものであり、永遠の別れは耐え難く辛い。
けれどひとつ勘違いしてはいないだろうか。
たとえば犬の平均寿命は15年。
長生きしても20年程度。
それは『天寿』であり、人間が80歳や100歳まで生きるのと同等のことである。
それを「15年しか生きなかった」と、まるで人間の子供が成人前に何らかの事件に巻き込まれて亡くなったくらいの感覚で悲しむのはあまりにもおかしすぎる。
彼らは彼らの生涯を精一杯生き、神様から与えられたいのちをきちんと使い切って天国へ行くのだ。
一年も生きられず亡くなった犬なら「可哀想に」と悲しんであげればいい。
虐待のすえ亡くなった犬、まだ健康だったのに事故や災害で亡くなった犬などを哀れむのも、人として当然の心である。
けれど、平均寿命までしっかりと生きたペットに対して「可哀想」という言葉を使うのは、私は大変失礼なことだと思うのだ。
あなたの両親や祖父母が老いて亡くなったとき、あなたは果たして彼らに対し「可哀想に」と言うだろうか。
「よく頑張ったね」
「お疲れ様」
「今まで本当にありがとう」
と言うのではないだろうか。
ペット、ここではとりわけ『食肉目・イヌ科・イヌ属・イエイヌ』と、我々『霊長目・ヒト科・ヒト属・ヒト』はまったく別の生き物であり、寿命が異なるのも当然のこと。
寿命に関してまで擬人化するような愚かな行為や思想はいいかげん卒業して、それぞれの生物種にとっての一生を尊重してあげていただきたい。
さらに言えば、天寿を全うできる健康な個体を選び抜く目を持ち、その個体の健康寿命を伸ばす飼養管理に努められるよう惜しみない勉強をしていただきたい。
そしてそれこそが、真の〝『種を超えた愛』である〟と早く気づいていただきたい。