2018.06.29Blog
「犬って、〝値段が高いと賢い〟とかあるの?」
先日初めて出会った男性に言われた一言である。
おそろしくて絶句してしまった。
それってつまり、例えば陶芸家に「値段の高い食器は割れにくいの?」とか、鮨屋の大将に「値段の高いお鮨は栄養価が高いの?」とか言ってるようなもんである。
動管法が動愛法となり、その動愛法もさらに改善されようとしている。
メディアでの報道も、昔に比べればはるかに動物に対する知識ある言動が増えたようにも思う。
しかし、未だ何も分からない御仁が多く存在するのも事実である。
犬の値段はあくまで〝犬質〟や〝血統〟そしてそれにさらに、いわゆる〝中間マージン〟が加わり決まっているものだと私は思っている。
犬質や血統の中に、性格やIQなどが多少は含まれるかとは思うが、必ず保証がなされるわけではない。
天才同士の両親から生まれた人間が必ずしも天才とは限らないのと同じで、そのポテンシャルは秘めていたとしてもそれが表に出てくる可能性は決して100%ではない。
〝氏より育ち〟という言葉が示すとおり、先天的な異常があり攻撃性の強い個体などでない限り、そのポテンシャルを活かすも殺すも人間次第なのだ。
犬や猫などは、あくまで見た目や血筋、希少価値などに値段がついているのであって、〝パソコンのCPUが高性能なほうが値段が高い〟みたいな感じで犬を見るのは何ともナンセンスである。
犬を飼っていると、犬を飼ったことのない人たちの発言が本当に新鮮に感じる。
〝ある携帯電話会社のCMに出ている犬を子供にねだられ飼い始めたが、CMのように喋らないので要らないと言われ捨てられた〟とかいう❛都市伝説❜がまことしやかに語られるのもなんだか納得してしまう。
我々は〝犬のことをよく知る人たち〟だけでなく〝犬のことをまったく知らない人たち〟にも、犬について最低限の知識と理解を得られるよう、さらに努力する必要がある。