2019.09.16Blog
「犬とか猫とか飼ったら、自分より先に死ぬから可哀想やん、だから飼わへんねん」
という人がいる。
犬の寿命は犬種や大きさにもよるがだいたい10年から15年。
長生きして20年程度である。
もちろん病気や事故、虐待などにより平均寿命まで生きられなかった子は「気の毒」「可哀想」と言えるかもしれないが、老犬になるまで生きて寿命が尽きて亡くなったのならそれは「可哀想」ではなく「お疲れ様、ありがとう」ではないだろうか。
自分より寿命の短い生き物を「早くに死んで可哀想」と言うのなら、宇宙の星々は我々人間をさぞ哀れんでいるに違いない。
「人間はたかだか100年しか生きられず、なんと可哀想なのだろう」と。
天体の〝生きる〟と我々の〝生きる〟はまた別物だと言う人もいるかもしれないので、地球上の生命体に絞ってみよう。
お鮨のネタでおなじみのミル貝は160年、赤ウニは200年、アイスランド貝は500年以上だそうである。
え?そんな下等動物じゃ感情移入できない?
では爬虫類で言えば、ムカシトカゲは100年以上、ガラパゴスゾウガメは250年以上、哺乳類で言えばホッキョククジラは200年以上生きるものもいると言う。
彼らが果たして私たち人間を「短命で可哀想」と思うだろうか。
答えは〝否〟である。
私たちが人生を有意義に生きるように、犬や猫をはじめ全ての生命体はそれぞれのいのちに誇りを持って天寿をまっとうしているのだ。
それを「可哀想」と表現するのはあまりに失礼だと私は思う。
そう言っている人たちに私は言いたい。
「死んだら可哀想なんじゃなくて、お別れすることが辛く悲しいんでしょう?」
そう、〝あなたが〟
彼らを哀れんでいるような表現をしているが、実はあなたが辛いというだけなのだ。
たしかに、生き物を飼うと別れはつきものである。
しかしそれと同時に〝いのちの儚さ〟そして〝素晴らしさ〟に気づくことができる。
それは人間同士が結婚したり親友になったりするのと何ら変わらない触れ合いだと私は思う。
人間同士でも別れはもちろんあるのだから。
私たちに命がある限り〝死〟は必ずやって来る。
それを〝悪しきもの〟とするのはいかがなものかと。
ちなみに、ベニクラゲという生き物は寿命が近づくと自らの身体を幼生の状態に戻すことができるらしく、理論上は寿命がないそうである。
彼らの若返りのメカニズムが分かれば、私たちがほうれい線やシワ・シミ、薄毛などに悩まされることがなくなる日が来るのかも知れない。
ただ、私は『自然な老いこそ美しい』と感じるので、そんなに期待してはいないけれど・・・
あと、ロブスターも脱皮の際に内蔵もリニューアルされるらしく、〝死ぬのは捕食された時〟なんだそうである。
私たちは犬や猫に対してよりもむしろウニやミル貝、ロブスターたちを〝可哀想〟と言うべきなのかもしれない・・・(笑)
いや、違うな。
「いつも美味しいいのちをありがとう」
「ごちそうさま」
だね(*´ω`*)