「トリマーの犬はきたない」
これはむかし私たちのあいだで当たり前のように使っていた言葉である。
意味は「紺屋の白袴」とほぼ同じ。
紺屋の白袴とは、他人のためにばかり働いて、自分のことに手が回らないこと。また、いつでもできると思い、何もしないでいることのたとえである。
人の白い袴を紺色に染める紺屋が、染める仕事に忙しく、自分は染めていない白色の袴をはいていることから転じて、他人のことにばかり忙しく、自分自身のことに手をかける暇がないということからできた言葉なのだが、昔のトリマーはまさにこの状態だったのである。
グルーミングの大切さが今ほど周知されておらず、犬を美容院に出すなどはある意味非日常で、それでも洗わなければどうしようもないプードルやマルチーズ、シーズー、シュナウザーなどの犬種の飼い主たちは、数ヶ月に一回のトリミングでも持つように短くツルンツルンにしてもらっているところが多かった。
そのような時代では美容料金もかなり安く設定されており、トリマーは頭数を稼がなければ収入として賄えない状態だったわけである。
頭数を多くすればもちろん身体はヘトヘト、仕事が終わってから自分の犬の手入れをする余裕などない。
そうすると、トリマーの犬は手入れされないままどんどん汚くなっていくのである。
けれど現在は変わってきている。
犬のトリミングやグルーミングは、犬が健康状態を保ち健全に生活していくうえで必要不可欠なことであり、病気の予防や早期発見にもつながるということが周知されてきただけでなく、何よりほぼ全ての犬種が室内飼いになったことで、飼い主自身が自分たちの愛犬を清潔に保ちたいと考えるようになった。
さらに、室内飼いになったことにより飼い主と愛犬との距離が縮まり、絆が強まったことで、飼い主は自身の愛犬をより深く知りたいと思うようになり、飼い主の愛犬に対する知識や意識が高まってきて、グルーミングの必要性への理解が深まった。
それに伴い、ドッグサロンは〝数を多く〟から〝頭数よりも丁寧に大切に〟へとサービスを変貌させてゆき、価格もそれに合わせて一件あたりの単価が上がり、値段よりも信頼関係を重要視する人が多くなってきている。
おかげでトリマーは身体的負担が軽くなり、晴れて自分の犬に手をかけてあげる時間ができるようになったというわけである。
時代は今この瞬間にも変化し続けている。
昔の常識が今は通用しないことなど多々ある。
良い変化ばかりというわけにもいかないのが少し残念だが、全体の意識が高まることは本当に素晴らしいと思う。
トリマーの犬達が看板犬になって、「うちの子もあそこのわんちゃんみたいにしてほしい」と思ってもらえるようなサロンが、これからもどんどん増えていくと嬉しいな。