たとえば料理にこだわっているお店で、細やかに味の分析をして評価するのもいいけれど、すなおに「旨い!」という感動の言葉だけでいい時もある。
細やかな部分のひとつひとつこそが素晴らしいと自分自身では感じていても、『今この瞬間にその言葉は必要ないし、かえって無駄になる』という場合もあるのだ
もちろん良い評価だけでなく好ましくない評価の場合も同様である
マニアックに突き詰めて、どの部分がどのように素晴らしいか、またどのように残念か、評価の根拠を述べることも時には大切かもしれないけれど、『今、あなたの周りの誰もそれを求めていないよ』というときに暴走すると、自分自身の価値を著しく下げることにもなりかねない
よくあるのが、自称ワイン通のうんちく
私もワインはとても好きだし、知識や経験を深めたいと思っている分野のひとつであるけれど、美味しいお料理と一緒に楽しく頂いている時に必要以上のトークをされると、せっかくのお料理の味もワインの味も半減してしまう
そう、優しさも知識も愛情も、『押し売り』はダメなのだ
私のお客さんの中にも様々な飼い主さんがおられるけれど、必要に応じて知識や経験の伝え方や話の盛り込み方・濃度などを変えているし、もちろん話す時も相手を尊重した言葉選びをするよう気をつけている
相手が小さな子供であったりまだ就学中の未成年である場合はある程度自分のほうが知識量も経験値も優っている可能性があるけれど、社会人同士であれば当然相手は自分が経験してこなかった経験を積んでいることが誰でも容易に想像できるはずである
知識や経験の押し売りや自慢話・マウント行為は、せいぜい自分がお金を払って飲みに行った先や、馴染みの後輩を食事に誘い奢ってあげるときなどにとどめておくべきだし、ましてや相手を否定することなどもってのほかである
『空気の読めない、相手の立場を考えることのできない人』は、いくら特定の分野において有能であってもヒトとして半人前である
・・・と言っても、そういう人は大抵自分のせまい世界に気づいていない、哀れな蛙であることが多いんだよなぁ(笑)