私がまだピチピチに若いころ大ブレイクした『たまごっち』がブーム再来となっているのをご存知だろうか。
と言っても私がそれを知ったのは、とある芸人さんのラジオ番組を撮りためたYouTubeなので、そのブーム再来も終わっている頃なのかもしれないが。
初代たまごっちの特徴的なことのひとつと言えば、最後は死んでお墓の画面になるというところだったが、新しいたまごっちは『死ぬ』という概念がないらしい。
別のたまごっちとくっつけると結婚し、子供が生まれると親はデータとして残るにとどまり、生まれた子どもを新たに育てることになる。
もしくは、お世話を怠るとグレて家出するというのだ。
子供のファンシーなおもちゃなのに『死』という概念があるのは酷であるという意見もあるのだろうけれど、私個人的にはまったく理解できない。
『犬を飼い、子どもを産ませると親犬は放ったらかし』
『飼えなくなった(というより飼い続ける気がなくなった)犬はどこかに棄てる』
これらは〝昭和時代の古き悪しき考え方〟であり、まさしく『新たまごっち』のシステムに酷似していると思うからだ。
芸能人の中にもペットの飼い方が酷すぎる人たちが少なからず存在し、炎上したりしているらしい。
アクセサリー感覚で飼い始め、いらなくなったら実家や人に引き取ってもらったり、逃げたことを笑い話としてテレビで平気で話したり、咬まれるから自分の犬のことを嫌いだと公表したりしている有名人が実際に存在するのだ。
令和になってなお、自分の飼っているペットについて無知・無責任な人間がまだまだいるようでは、資本主義の次におとずれると言われる『互恵的利他主義』など本当に日本に定着するのか、甚だ疑問である。
加えて、片やオンラインなどで人をバンバン殺していくようなゲームが人気を博し、片や死の概念を取り払った〝見た目優しい〟ゲームが売れていることについて、私はどちらも無責任という点で共通していると感じざるを得ない。
たかがゲーム?
では、それを正しく楽しめるような社会常識作りは果たしてできているか?