私が生きてるあいだに変化してきたものがある
まず『濁点・半濁点の消失』
免れるという言葉は〝まぬがれる〟から〝まぬかれる〟へ
間髪は〝かんぱつ〟から〝かんはつ〟へ
既存は〝きぞん〟から〝きそん〟へ
元々濁点がないほうが正しいのだが、辞書にも濁点・半濁点を容認しているものが多く世間的にもそのように使われていたことからか、アナウンサーやキャスターなどもかつては当たり前のように濁点・半濁点をつけて話していた
昔はそれこそ〝舌鼓〟を〝したづつみ〟と読んだり〝腹立たしい〟を〝はらただしい〟と読んだりするおバカなキャスターも多かったが、視聴者も大して気にしていなかったのだ
今のテレビ業界は何もかも視聴者につつかれないようにしなければならなくなっているため、正しくない発音を徹底的に修正しているのだろう
さらに余談だがテレビ業界は異常なほどに過剰な対応をしており、ルパン三世のアニメーションCMでルパンがノーヘルでバイクを運転している映像の下に
「※あくまでCM上の演出です。バイク運転時のヘルメット装着は法律で義務付けられています。」
など、「分かってるわ!」とツッコミたくなるほどの過剰な注釈がついていたり、
怖い話の再現VTRで、タクシーの後部座席に座っている幽霊がきちんとシートベルトをつけていて、
「幽霊より視聴者のほうが怖いわ!」
と思わざるをえない演出がなされていたりする
次に変わったことは『犬が畜生からお犬様に変わったこと』
獣医療が進み、犬の寿命が大幅に伸びた
私が小中学生のころは、玉ねぎ中毒など知らなかった
『動物のお医者さん』という漫画で主人公のハスキー犬が下痢をして、診察に行った大学病院の獣医師に「玉ねぎ中毒じゃないの?」と言われて主人公が怪訝そうに獣医師を見つめるというひとコマがあって、「玉ねぎ中毒て!(笑)」と爆笑した記憶は鮮明に覚えている
それこそ、ぶどうやキシリトールなどが犬にとって危険だと言われ始めたのは、ほんのここ数年である
そもそも犬の病気は狂犬病しか知らなかった
フィラリアすら知らなかった
犬は庭で繋いで飼うのが当たり前
ドッグフードは『ビタワン』に昨日の残りの冷やご飯とお味噌汁を混ぜる
そのお味噌汁に玉ねぎが入っていてもお構いなしで、翌日に犬が水のような下痢をしていても「あれー、どうしたのかな」と思う程度
散歩は引きずられるので極力行きたくない
私はうんちを拾って持って帰ってきていたが、祖父は溝に捨てていた
小学生のころは捨てられた犬たちが群れを成して民家のまわりをうろついているため、集団登下校をしなければならなかった
いまの時代に生きている人からすれば信じられないことかもしれないが、事実私たちが小中学生の頃はそんな時代だったのだ
今と比べると本当に発展途上国のような光景だったと思う
それが今となっては、服を着せてカフェや旅行に共に行き、ひとつ1000円以上の犬専用缶詰が売られ、元気に歩ける年齢にも関わらず犬をベビーカーに乗せて連れ歩く
私からすれば変わりすぎである
もちろん社会の心が豊かになり、情操が高まった証であろう
事実、出回る情報量も増え、賢くなったオーナーさんも多い
(↑その代わり、よく理解している人と全く理解していない人の落差が激しくなったとも言えるが)
常識は目まぐるしく移り変わっている
お入んなさいの縄跳びのように、流れに乗るタイミングを失わないようにしなければならない
これは、我々プロにしても一般の飼い主さんにしても言えることである
あ、縄跳びの〝お入んなさい〟
これも古いか